札幌南高13期東京同期会
13期元気会の仲間の交流の場
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在原業平 いとあはれなる歌と人生㉝ 別れの歌…その4(最終回)
在原業平 いとあはれなる歌と人生㉝ 別れの歌…その4(最終回)つひにゆく道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思はざりしを『古今集』巻16哀傷歌に採取された歌で、これが業平の辞世である。「詞書」に「病を得て体力気力ともに衰えた時に詠んだ」とある。『伊勢物語』でも最終段の125段に、「昔、男が病に伏し死期が訪れたことを悟りこの歌を詠んだ」との一文があり、この歌が置かれている。辞世としては何ともあっさりしたもの...
第32回 「在原業平」
在原業平 いとあはれなる歌と人生㉜ 別れの歌…その3世の中にさらぬ別れもなくもがな 千代もとなげく人の子のため『古今集』巻17雑歌上に採取された歌である。詞書に、「母が長岡京に住んでいた時、業平には宮仕えがあり訪ねる機会があまりなかった。師走に入り母から便りが届いた。文ではなく歌であった」とあり、「老いぬればさらぬ別れもありといへば いよいよみまくほしき君かな」の贈歌と、業平の返歌が置かれている。母は...
31回 「在原業平」
在原業平 いとあはれなる歌と人生㉛ 別れの歌…その2おほかたは月をもめでじ これぞこの積もれば人の老となるもの 『古今集』巻17雑歌上に収められた歌である。紀貫之は『古今集』巻頭の仮名序で、業平の歌を「心あまりてことばたらず」と評し、その実例としてこの歌を挙げている。この歌を文字通りに解釈すると、「およそ月など愛でてはならぬ。それが積もれば人の老いとなるのだから」となるが、それでは言葉の意味がわかっても...
第30回「在原業平」
在原業平 いとあはれなる歌と人生㉚ 別れの歌…その1今ぞ知る 苦しきものと 人待たん里をば離(か)れずとふべかりけり「古今集」巻18雑歌下の歌である。この歌には、「紀利貞が阿波・徳島の国司に任命され赴任するにあたり、送別の宴を開こうと待っているのだが、あちらこちらへ別れの挨拶回りをしていて、夜遅くなってもやってこないので、使いの者に早く来るよう歌を持たせて催促に行かせた」という詞書がついている。紀利貞は『...
第29回 在原業平
在原業平 いとあはれなる歌と人生㉙ 惟喬親王との交わり…その4わすれては夢かとぞ思ふ おもひきや 雪踏みわけて君を見んとは『古今集』巻18雑歌下に採取されたこの歌には、おおよそ次のような詞書が付いている。「日頃、惟喬親王にお仕えしていたが、親王は剃髪し僧籍に入られ、比叡山の麓の小野という処に庵を開かれた。正月にお慰めしようと出掛けたが、雪が深い田舎なので必死の思いでようやくたどりついた。ご尊顔を拝すると...
第28回「在原業平」
在原業平 いとあはれなる歌と人生㉘ 惟喬親王との交わり…その3飽かなくにまだきも月のかくるるか 山の端逃げて入れずもあらなん『古今集』巻17雑歌上に収められたこの歌には、次のような詞書がついている。「一日、惟喬親王の狩のお供をして夕方宿舎に戻った。その夜も酒宴が催され、大いに飲み大いに話が弾んだ。11日の月が山陰に隠れようとする時分、親王は酔って寝所に入ろうとされたので、右馬頭が歌を詠んだ」とある。さて...
第27回「在原業平」
在原業平 いとあはれなる歌と人生㉗ 惟喬親王との交わり…その2狩り暮し たなばたつめに宿借らん 天の川原に我は来にけり『古今集』巻9羇旅歌(きりょか:旅の思いを詠んだ歌)に収められた歌である。詞書に「惟喬親王のお供をして狩りに出た折に、天の川という典雅な名をもつ川の岸辺で酒宴を催した。親王が「誰か、狩をして天の川の辺りまできてしまったという題で歌を詠み、盃を干しなさい」とおっしゃったので、在原業平がこの...
第26回「在原業平」
在原業平 いとあはれなる歌と人生㉖ 惟喬親王との交わり…その1世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし『古今集』巻1春歌上に「渚の院にて桜をみてよめる」の詞書とともに、この歌が収められている。『伊勢物語』では第82段に、「昔、惟喬親王(これたかのみこ)と申すお方がいらっしゃった。惟喬親王は別荘を亡父文徳天皇の離宮があった山崎の先の水無瀬に所有されており、毎年桜のさかりにお出掛けになった。そ...