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中国訪問回想の記-温故知新

中国訪問回想の記-温故知新

浅学非才の身故、傾ける薀蓄、技量は持ちあわせていないので、頭の中を整理しながら記憶に残っている体験が雲散霧消する前に中国訪問回想の記と題する短文で、断片的ではありますが、綴ってみたいと思います。期間的には1984年から10年間ほどの回想になるかと思います。現地での生活感のない外国からの一旅行者の菅見ですが、大袈裟に言えば歴史の小さな点描(本当に点ですが・・・)でもあるかと思います。

 最近、このブログを通じて同期の方とのコミュニケーションが直接、間接に増えてきたように感じています。同期の方の投稿記事やコメントを拝見していて、「ふるきをたずねて・・・」という一節、温故知新が思い起こされました。この「温故知新」には忘れられない記憶があります。

二十数年前のことです。中国へ日本文化の源流を訪ねるという趣旨の海外研修旅行を企画しました。滔々として流れる歴史の大河を遡り文化の源流を訪ねる旅、題して「遡源」。記憶は学生を引率して、孔子のふるさとである曲阜(*)を訪ねた時のことです。訪問先の一つである山東大学の在る山東省の済南から単調な風景の中、バスに揺られて曲阜に向かいました。当時の中国は電力事情も悪く、夕闇が迫ると当りは真っ暗闇となり、いつ着くのかもわからない中で遥か彼方に曲阜の灯りらしい光を見えてきたときはホッとしました。その灯りを目指してやっとたどり着いたという感じでした。同時に論語を通じて学んだあの孔子のふるさとへ思いもかけず来ることが出来たのかと感無量でした。その感慨に浸る間もなく、宿舎(孔府*)の方々が夕闇の中爆竹を鳴らして暖かく迎え、早速、歓迎の挨拶がありました。断片的ではあるが、「有朋自遠方来」「・・・この偉大な思想家であり教育者でもある孔子様のふるさと・・・」とういう言葉が聞こえてきたとき、こころの奥底で何かが動くのを感じました。あたりは深い闇に包まれていたが、孔子ゆかりの建物の中庭に整列していた学生と宿舎の方々のところだけ、電燈の光に照らされてボーッと明るく、この光景は今でも目を瞑れば浮かんでくる。学生達の後ろで挨拶を聞きながら、翌日の予定を考えていたとき、急遽、訪中研修団の団長として答礼の挨拶をすることになった。整列していた学生達の前に出るため数メートルほどの距離を、ゆっくりと歩を進めながら挨拶の言葉を探していました。この数秒の間に論語や中国の故事の一節が次から次と脳裏に浮かんできました。普段の心根が悪いのか浮かぶのは、「李下に冠を正さず」、「渇すれども盗泉の水を飲まず」、「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」、「巧言令色鮮矣仁」等々出てくるフレーズがこの場面に相応しくないものばかりでした。かなり焦っていた気持ちが今でも思い出されます。ところが、前に立った時に浮かんだ論語の一節は、「温故而知新(故きを温ねて新しきを知る)」でした。通訳が挟まるので次の言葉を探しながら、無事に挨拶は終えることが出来ました。

(以下の文章は 続きを読む をクリックしてお読み下さい)
危機一髪、この緊張した気持ちは、今でもその時の心象風景と共に感覚に残っています。年を重ねても適度な緊張感は必要ですね。

翌日、孔廟*を見学していると現地の方が流暢な日本語で話しかけてきました。ラジオで日本語の勉強をしていて通じるかどうか不安だったらしく、「私の日本語わかりますか」と聞いてきたので、「よくわかります」と応えると大変な喜び様で暫く離れずに日本語で話しかけながらついて来ていました。当時この地方都市に日本人の来ることは少なく、千載一遇のチャンスとばかりに、矢継ぎ早に日本語で質問してきたようです。留学に要する費用を聞いてきましたが、学費が100万ほどかかると聞いて、当時の中国の貨幣価値からするとあまりにもの大金なので気の毒なくらい驚いていました。しかし彼の発音は大変綺麗なもので、語学の得意ではない私にとっては驚きでした。

私が世界遺産の一部(孔府)に宿泊したのは1984年3月。今では考えられない貴重な体験でした。似たような貴重な体験は他の世界遺産でもありました。1984年と言う年は、改革開放が本格的になる前だったからではないかと思います。文化大革命が終わり、日中国交が回復してからまだ10年足らずの時代であり、貴重な体験をすることが出来ました。当時、特に北京、上海の大都会に身を置いた時、人々の発するエネルギーが肌に強く感じられ、21世紀は中国の時代であるという予感がありました。文化大革命(批林批孔)の傷跡が、孔子のふるさとには、まだそこかしこに残っていた頃の話です。

*曲阜:中国山東省南西部、周代の魯の都。

*孔府:孔子の正統な子孫が代々居住する公邸。

*孔林:200Haを越える面積を持つ孔子及びその子孫の墓地。

*孔廟:孔子の神霊を祭る霊所。紫禁城、岱廟と並ぶ中国三大宮廷建築一つ。

孔府・孔林・孔廟の全体が世界遺産(文化遺産)に登録されたのは1994年。

写真は1984.3月の撮影。

①孔廟の石坊「金声玉振」
金声玉振修正-1

このような儒教の古典から出た言葉は孔廟内で多く見ることが出来た。南から北へ立ちならぶ四つの石坊(鳥居形の門)には、それぞれ「金声玉振」、「顋星門」、「太和元気」、「至聖廟」の文字が書かれている。

②成化碑
明成化碑-1

明、成化時代(1465~1487)の碑。このような碑は歴代の皇帝によって建てられている。文革のときに着いたと思われる傷跡は多くの碑で見かけました。

 ③大成殿
大成殿-1

建物の屋根をおおっている黄金色の瑠璃瓦は、孔子が皇帝と並ぶ最高の地位を与えられていたことを示している。内部に本来ならある孔子像が避難したのか無かった。

④孔子の墓
孔子の墓

孔林のほぼ中心に孔子の墓があり、傍らに孔子の長男である孔鯉の墓もあった。写真にある孔子の墓碑には「大成至聖文宣王墓」(明代の碑)とあり、この後ろに「宣聖墓」(宋代の碑)があります。

考えてみると孔子は約2500年前の人で、釈迦、ソクラテスとほぼ同時代に生きていた人ということになりますね。現代に生きる我々にも影響を与え続けている。やはり偉人ですね。昨年末、福田総理が孔子の故郷、山東省曲阜を訪れ、見学の感想として「温故創新」と揮毫したそうである。この4文字は、「故を温ねて新しき(未来)を創る」という意味あいでしょうか。2400年余り続いている孔子廟に日本の指導者が訪れたのは福田総理が初めてとのこと。これを契機に成熟した日中関係が築かれることを期待したいと思います。近年、観光客が多く訪れるようになり、二十数年前に訪ねた時とはかなり整備された様子が建造物の色彩の違いからも見て取れます。(ネットを通じてですが・・)

中国を初めて訪問したときに、孔子のふるさとを訪ねることが出来たのは、私にとって色々な意味で幸運でした。私も既に「六十而耳順」の年齢になり人の話が素直に聞けるようになったようです。

1月26日(土)は13期東京同期会の恒例の新年会です。「有朋自遠方来、不亦楽乎」、近くの朋の方は勿論のこと、遠方の朋の方も是非参加して、文字通り「温故知新」でひと時を過ごしませんか。(2組 鎌田)

参考
http://www.pekinshuho.com/tp/txt/2007-12/26/content_92593.htm(北京週報)

http://home.h03.itscom.net/sennin/clickable8.html(地図が出たら曲阜をクリックして下さい)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B2%E9%98%9C(wikipedia ・曲阜)



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コメント

[C2017] 本当だったのか

1984年夏、曲阜を訪れ三孔をまわった。宿泊は孔子の屋敷跡と言われた。外賓向けの施設だったのかもしれない。
土間のような部屋だった。バスルームの天井にはヤモリがうじゃうじゃへばりついていた。

当時そんな宿泊施設が本当にあったんだろうか?記憶違いでは?不安になったが…

たぶん同じ施設に泊まられたのでしょう。
よかった、記憶違いではなかったようだ。

[C774] 回想の記

 「回想の記」と書きながらですが・・・、過去を振り返るだけでは、老人そのものになってしまいますね。過去を顧ながら内在する個人的無意識の世界、言い換えれば、小宇宙の世界に現在(意識)から信号を送ることで新たな発見につながって来る様に思っています。いわゆる「オズマ計画」(地球外知的生命体探査)と意味もスケールも違いますが、気分は似ています。おかげ様で、今まで見えなかったものが少し見えてきたように感じています。これからも「学而不思則罔、思而不学則殆」が基本的スタンスです。(2組 鎌田)
  • 2008-01-19 12:40
  • 鎌田
  • URL
  • 編集

[C769] 温故知新

この言葉は何度も毛筆で書いた記憶があり、思い出すのは南高の書道の先生のお顔。大木金太郎先生は、生徒の書いた文字を一目見て、「アンタは○○先生の弟子だろう」と見抜くオソルベキお方でした。単に筆法が古く、今風の文字ではなかったのでしょうが、この最初の授業の一言で私は萎縮してしまいました。でも、生徒が納得するまで書かせてくれる、心の広い先生だったと思います。
過去の事を思い出し、それを確かめたいと強く思うのは、私もいよいよ老人になったのでしょうね。そうでありながら、新しきを知ることが出来る、・・・そして鎌田さんの以前の印象的な記事のように、「見えなかったものが見えてくる」のは何よりの喜びです。(9組 中沢)
  • 2008-01-18 10:46
  • 中沢
  • URL
  • 編集

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